特発性正常圧水頭症診療ガイドライン 第3版
序
特発性正常圧水頭症(iNPH)は決して新しい疾患ではなく,その歴史は1965年のHakim S,Adams RDらの報告にさかのぼることができる。彼らはこの報告のなかで,精神活動の低下(認知症様の症状),歩行障害,尿失禁を呈する高齢者のうち,著明な脳室拡大を認めるにもかかわらず,腰椎穿刺で測定した脳脊髄液圧が180mmH2O以下と比較的低く,しかし,脳脊髄液短絡術(シャント手術)を行うと上記の症状が著明に改善する患者のいることを指摘した。1970年代に入り本邦においても,iNPHは“治療可能な認知症”として注目されるようになったが,シャント手術により症状改善をみることが疾患概念の前提となっているがゆえに,本来はシャント手術の適応にならない症例に手術が行われるという不幸な結末がもたらされることになった。当然のことながら,認知機能障害,歩行障害,排尿障害は高齢者にみられるAlzheimer病やParkinson病などの神経変性疾患の症状であるため,これらの疾患とiNPHをいかに鑑別するかが大きな問題として認識されるようになった。すなわち神経変性疾患の患者でも,特に高齢者では脳萎縮にともなって脳室は拡大してくるが,シャント手術を行っても症状が改善することはなく,iNPH症例に対する手術適応をいかに厳密に判断するかが喫緊の課題となった。このような背景のなか,2004年に本疾患に関する診断・治療のガイドラインの初版が刊行された。2010年にはiNPHに関する医師主導型多施設前向きコホート研究(SINPHONI)の成果が報告され,この結果を受けて,2011年にはMRI所見を重視したガイドラインの改訂版(第2版)が発行された。その後,SINPHONI-2や全国疫学調査などのエビデンス・レベルの高い研究結果が続々と報告されるようになり,これらの研究成果を踏まえてガイドラインの再改訂が必要と判断し,この度第3版として『特発性正常圧水頭症診療ガイドライン』を発刊する運びとなった。厚生労働科学研究費補助金難治性疾患政策研究事業「特発性正常圧水頭症の診療ガイドライン作成に関する研究」班と日本正常圧水頭症学会の共同事業として実施された今回の改訂は,従来と同様にEBMの考え方に従い「Minds診療ガイドライン作成の手引き」2014年度版に準拠してその作業を行った。ガイドライン第3版は2部構成となっており,前半では従来の教科書的な内容を踏襲し,後半に18項目のクリニカルクエスチョン(CQ)に対する回答と解説を掲載した。
2004年のガイドライン初版刊行から15年余りが過ぎようとしているが,その間に本邦におけるiNPHの認知度は格段に高まり,iNPHの診断と治療は新たな局面を迎えるに至ったといっても過言ではない。今回のガイドライン第3版がiNPHの診断と治療をさらに精緻なものとし,多くの患者とその家族さらにiNPHの診療に関わる医療従事者に福音をもたらすことを期待したい。
順天堂大学 学長
特発性正常圧水頭症診療ガイドライン作成委員長