(旧版)ED診療ガイドライン 2012年版
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EDと前立腺癌
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根治的前立腺摘除術と術後ED
手術における勃起機能温存においては神経血管束(NVB)の温存術が推奨される。
〔推奨グレードA〕

前立腺全摘除術においてさまざまな術式の工夫がなされている。
前立腺被膜下神経温存術
〔推奨グレードC1〕

神経移植術
〔推奨グレードC2〕

副陰部動脈温存
〔推奨グレードC1〕

腹腔鏡あるいはロボット支援手術などの技術改良も行われているが,勃起機能温存において従来の開腹手術より優れているというエビデンスはまだない。
〔推奨グレード保留〕

1)根治的前立腺摘除術後EDの頻度
根治的前立腺摘除術後のEDは,QOL を低下させる重大な合併症である。University of California Los Angeles Prostate Cancer Index(UCLA-PCI)自己記入式アンケートを用いた性機能調査によると,性機能スコアは手術直後に最低値を示したあと徐々に改善傾向を示すが,術後5年経っても性機能スコアは術前値の32%1)と完全回復にはほど遠く,術前の状態まで回復できた症例はわずか34% とも報告されている2)。日本泌尿器科学会の調査によると,2006年にわが国で根治的前立腺摘除術は約16,000件行われている3)ので,毎年およそ10,000名という膨大な数の根治的前立腺摘除術後のED患者が発生していると推定される。2)病因とリスク因子
根治的前立腺摘除術による術後EDは,手術による神経損傷や血管損傷に起因する。陰茎海綿体神経の損傷は,一酸化窒素(NO)産生を低下させる4)とともに陰茎海綿体平滑筋のアポトーシスを誘発し5,6),陰茎海綿体の萎縮・線維化をきたすことが動物実験でわかっており6,7),実際に根治的前立腺摘除術6カ月後の陰茎海綿体生検で線維化が報告されている8,9)。海綿体平滑筋が線維化してその容量が減ると,勃起の維持に必要な陰茎海綿体静脈の流出閉鎖機能が働かなくなり,陰茎海綿体から血液が漏れてしまう,いわゆる静脈溢流性EDの状態をもたらす10,11)。一方で,手術による陰茎海綿体への流入動脈の損傷や術後の慢性的な非勃起状態は,陰茎海綿体内の低酸素環境を作り,NO 産生を低下させ12),陰茎海綿体のさらなる線維化の原因となる8,13)。術後EDに影響する因子としては,手術時の年齢,両側温存か片側温存かといった神経温存手術式の違い,術前の性機能の状態などが知られている14-17)。すなわち,若年で,両側温存手術が施行され,術前の勃起機能に問題のない症例は術後に良い回復が期待される。回復に対しての負の因子としては,糖尿病,心疾患,高血圧,脂質異常症などの併存症が報告されている16,18)。人種による違いも回復に影響する。日本人と米国人との比較では,日本人の術後EDに対する負担感(bother)は米国人よりも低いものの,日本人の術後EDからの回復は術前の性機能とともに米国人に比して有意に不良であることが報告されている19)。
3)海綿体神経走行と術式の変遷
術後性機能温存のため神経温存前立腺摘除術が行われて久しいが,温存対象となる陰茎海綿体神経走行の概念は変遷してきた。a.神経血管束温存術
Walsh とDonker は1980年代に,前立腺後外側の5時・7時の神経血管束(neurovascularbundle: NVB)を温存する神経温存根治的前立腺摘除術を提唱し20),その後の神経温存手術の基盤を作った。b.前立腺被膜下神経温存
その後,両側NVB を温存しても術後EDの回復に一定の限界があることが判明し,NVB 以外を走行する神経線維が注目されるようになった21,22)。前立腺周囲の神経走行の記載に関して,古くは1836年にMüller 23)が示した解剖図に前立腺後外側から前方に網目状に分布する神経が描かれている。2000年代に前立腺切除標本の顕微解剖学的検討で,神経線維はNVB 以外にも前立腺のほぼ全周性に分布していることが確認され24-26),電気生理学的検査でそれらが勃起に機能的に関与していることが示唆されたことで27),勃起をつかさどる神経線維は従来のNVB 内を走行するという概念から,前立腺周囲にネットワークを形成するという概念に移行した28)。手術手技に関しては,前立腺周囲の神経線維を多く残すため,神経線維を含む前立腺周囲の筋膜をより前方・正中から剥離する,いわゆるVeil of Aphrodite techniqueといった概念が術式に導入され,良好な短期成績を残している29-32)。2008年にはWalsh らのグループも,より前方から前立腺周囲の神経線維を温存する術式を採用し,従来の術式よりも性機能回復が改善されたと報告している33)。
しかしながら,陰茎海綿体神経の走行についてはいまだ論議が継続している。最近になって,いわゆるNVB よりも前方には勃起にかかわる神経型NO 合成酵素(nNOS)陽性神経線維が少ないので,実際の勃起機能にはほとんど関与しないのではという反対の見解が報告された34,35)。そのなかでCostello らは,前立腺周囲の神経線維をより前方から温存する術式が良好な成績を残せるのは,より多くの神経線維が残るためではなく,術中の牽引操作による神経ダメージが減少するためと考察している34)。NVB を従来通りの5時・7時で温存する術式でも,術中の早い段階でNVB を前立腺から遊離し牽引操作などのダメージから保護することで,従来と比べて性機能回復が改善できたとする報告も存在する36,37)。現時点では短期成績の報告しかないため,陰茎海綿体神経の温存に関するエビデンスは,今後の長期成績の結果を待つ必要がある。
c.神経移植術
陰茎海綿体神経を残せない場合の神経移植の効果については,以前から論議されているが38-40),2009年に片側温存根治的前立腺摘除術におけるNVB 切除側への神経移植の効果を調べた第II 相RCT41)の結果が報告された。片側温存根治的前立腺摘除術症例において,対側神経移植群の術後性機能は移植なし群と比べて有意な改善は認められなかった41)。移植の効果がなかったという結果は残念であるが,最もこの手技を必要としているのは両側の神経切除が必要な若年の前立腺癌症例であり,両側神経移植に関してのエビデンスはこれからで,この臨床試験の結果はすべての神経移植の効果を否定するものではない38)。はっきりとした因果関係は今後のRCT が待たれるところである。d.副陰部動脈の温存
副陰部動脈(accessory pudendal artery: APA)は肛門挙筋の上を走行する動脈である。解剖学的にその走行には個人差が大きいとされてきたが,死体解剖によって10体中7体に副陰部動脈を認め,これらすべてにおいて陰茎海綿体への主な動脈供給路であった42)。頻度については術式によって報告にばらつきあり,開腹の根治的前立腺摘除術における頻度は4%43),腹腔鏡手術における頻度は30%44)とされており,腹腔鏡手術においては80% の症例で温存可能であった。副陰部動脈の温存により勃起機能回復の改善と勃起機能回復期間の短縮を認めたとの報告がなされているが45),一方で,副陰部動脈温存が勃起機能回復に関与しないとの報告もあり46),今後のRCT が必要である。4)腹腔鏡下,あるいはロボット支援根治的前立腺摘除術の勃起機能温存への寄与
腹腔鏡下根治的前立腺摘除術は徐々に普及し47),低侵襲治療として周術期の合併症の減少,術後早期回復,高い制癌効果,そして勃起機能回復を含めた機能温存に対して期待がもたれている。ロボット支援根治的前立腺摘除術もまた,高解像度の3D 画像と操作性に優れた操作用アームを特徴とし,低侵襲手術として米国では完成度の高い手術支援システムとして急増している48)。腹腔鏡下,あるいはロボット支援根治的前立腺摘除術後の勃起機能回復症例の割合は58〜73% とされ,勃起回復評価時期,術前の勃起機能の程度,患者年齢,神経温存術式の有無,PDE5阻害薬使用の有無により左右される49)。わが国でもロボット支援根治的前立腺摘除術の導入が始まり勃起機能保持の改善に期待がもたれているが,現在まで大規模な無作為化された術式間の比較試験が存在しないため,勃起機能保持の点で,開放手術と比べ,これら低侵襲術式が優れているかどうかは定かではない50,51)。近年Hu ら52)は,SEER(Surveillance, Epidemiology,and End Results)の約9,000名のデータベースを用いて,後ろ向きに術式間の比較検討を行っている。腹腔鏡下,あるいはロボット支援根治的前立腺摘除術は全体の22% に行われていたが,開放手術に比べ勃起機能保持の割合が低いと報告されている。これら低侵襲手術の習得には時間を要し,技術の安定が不十分であることがこれらの結果につながったものと推測されるが,はっきりとした因果関係は今後のRCT が待たれるところである。