(旧版)線維筋痛症診療ガイドライン 2011

 
 
7章 ケアおよび支援の体制
3.支援体制の現状と将来展望(友の会を中心に)

3.ピアサポートの実例と限界
arrow 患者が患者の悩みを聞くピアサポートにはそれなりの良さがある。患者はこの痛みは経験したものでないとわからないと思っているから, 経験者には心を開いて語る。また,経験者ならではの共感に満ちた言葉をかけることができる。日常生活での小さなアドバイス,健常者では気がつかないヒント,苦しいときの対応の仕方を体験に基づいて教えることができる。初めて自分の胸の中に溜まった澱のようなものを吐き出すことにより, 重い荷物を降ろしたような感じを持つ患者は少なくない。この作用を大きく引き出していけばピアサポートは精神の開放にもつながることになる。
arrow 線維筋痛症は薬の服用によって改善する場合と,ほとんど変化のない場合とにわかれる。後者の場合,痛みがあってもなんとか強く生きようとする患者と,気力を失って泣いてばかりいる患者とにわかれる。いったい両者の違いはどこにあるのだろうか。
arrow A子は30代で発症し,以後8年間頻繁に友の会に電話をしてくる。その内容は驚くほど毎回同じで,テープレコーダーのように8年前からのことを一気に話す。はじめは夫の暴力だった。突き飛ばされた際に足の靱帯を痛めたという。夫とは離婚し,世話を焼いてくれる母には文句ばかり言っていて,着替えの際に腕を引っ張られて腕も痛くなったという。強く母親を憎んでいるようだった。間もなく母が病死。悼む言葉はまったくなく,腕を引っ張られたことを恨んでいる。ヘルパーが入ることになるが不満ばかりだ。すべてを人のせいにして不満しか口にしない。そして元気だったころはデパートに買い物に行けたのに,と言う。今何かを努力しようとする気配はまったく感じられない。毎回同じ不満を述べ,人を非難する。
arrow A子に接することは大変な困難を感じるが,毎回根気よく話を聞く。訴えの内容にはほとんど変化がないが,死にたいと漏らすことはなくなった。ファッションに関心があるようなのでデパートに行ってみることを目標とするように会話の中に織り交ぜている。専門家の面接が必要だと感じる例である。
arrow B子は70代でほぼ毎日電話で腹痛を訴える。主治医は検査をしても腹部には異常がないと言っている。薬は最小限にとどめているようだ。食事もできている。毎回ひとしきり腹痛を訴えた後,「いつも自分のことばかりで申し訳ない」という言葉が出るようになった。筋力が落ちるから毎日10分程度の散歩を勧めると実行しはじめた。寝てばかりいた生活から少し起きて趣味などをするようになった。友の会で話を聞いてもらえる安心感から,人との会話の重要性にも気づいた。以前は正常な会話もできなかった夫とも冷静に話をするようになり,夫との関係も良くなり,たまに散歩にも同行している。
arrow C子は60代で数年前から頻繁にメールを送ってくる。最初は悲嘆に暮れてばかりでもう生きられないと書いていたが,根気よく返信しているうちに少しずつ明るくなった。先日は地方の医療講演会・交流会に参加し「とても良い話を聞けた。みなさんが親切に話をしてくれた」と喜んでメールしてきた。
arrow 周囲の人が理解ある態度で接することでC子にも自信が出てきたようだ。ほかの患者が病気を乗り越えて患者会に参加し,ボランティア活動をしているのを見て,自分のことばかりにとらわれてはいけないと思うようになった。少しでも誰かの役に立ちたいと思う心は本来誰にでも備わっているので,親切にされたことへの感謝からその心が少し芽生えたと思う。
arrow 線維筋痛症になると思われる原因は様々ある。他者の責任 ―― 交通事故や暴力がトリガーになることもある。しかしいつまでもそれにこだわっていても意味がない。乗り越えることを考えなければならない。他人を責めることで何らかの心の慰めを見出すとしても,それは一時的なものでしかない。病気を現実のものとして受け入れ,自分でなんとかしようという気持ちにならなければ何も始まらない。それをわかってもらいたいと思い,会では大きな時間と努力をさいているが他人の人生に共感はできても,立ち入ることはできないので大変難しい。
arrow 医療機関に過度の期待を持って悪循環に陥った例もある。自分でシナリオを書いてそれ以外の説明を排除する患者である。主治医を信頼しなければ治療にはならないが,医師が絶対に治してくれるという過度の期待もまた,治療が奏効しなかった場合にはすぐさま不信へと裏返ってしまう。
arrow D夫妻は妻の病気を治すために地方の大学病院をすべて回り尽くし,家を引き払って都内に引っ越してきた。関東近県の病院を回り始め,どこにも定着することはなかった。夫妻の病院に対する怒りは激しく,病院の仕打ちを列挙する彼らを100%信じることはできないと感じるほどだった。友の会でも何箇所か病院を紹介したが,どこもダメだったと言って受診を打ち切ってしまう。夫が一方的に話すので,何らかのアドバイスをすることが大変難しい。自分の意に沿わない言葉は受け入れようとしないので,専門家の介入が必要だと思われた。
arrow また,特に若い患者の中に,家庭内での暴力や親子の葛藤などが病状を深刻にしている例があり,その場合は本人だけと関わっていてもなかなか改善には向かわず,患者向けの窓口という形態では限界を感じることが多々ある。線維筋痛症という目に見えない症状に対する家族の無理解が患者を追い詰めている。
arrow E子は結婚をきっかけに地方から都内に引越しをした。親兄弟と離れ,生活が激変する中で彼女は薬の量を増やし,体調をやりくりしながら必死で主婦として働いていた。しかし「一緒に病気と闘うから」と約束してくれたはずの夫の態度は日を追うごとに厳しくなっていった。体調が悪い日,仕事帰りに夕食を買ってきてくれないかと助けを求めると,「自分は仕事で疲れているのに。お前は本当に病気なのか?家でいつもごろごろして,怠けてばかりのお前の頼みは聞けない」となじられた。それは徐々にエスカレートし,環境の変化や過労も重なって,連絡を受けたときは郷里を離れたときとはまるで別人のような声だった。地域の女性センター等に連絡をとり,専門の相談を受けることを勧め,決してあなたは悪くないと本人を励ました。最終的には,彼女は離婚して実家に帰る決断をする。医療だけで解決できない問題も,症状を強くする要因となることが多々ある。地域福祉の各機関との連携や,専門家の支援が必要な例である。
arrow 復職を果たした例としては次のようなものがある。
arrow F男は発症して間もなく友の会にコンタクトしてきた。会社を半年間休職することに決めており,その間日常生活をどうしたらよいかという相談だった。半年の猶予があるのだから思い切って気持ちを楽にして,やりたかったことをすればよいと話した。F男はサッカーが好きで地元の小さなチームをよく見に行っていた。身体が痛くても試合を見に行き,そのうち参加して走ってみた。ボールを追うと爽快で楽しかったという。後で痛みはひどくなるが楽しみのほうが大きい。だんだん走れるようになり半年後には痛みが気にならなくなっていた。薬もやめて会社に復職した。
arrow 痛みにとらわれすぎると時間は長く感じられ,もう生きていけないと思う。しかし好きなことに没頭していると時間は短く感じられ,痛みは忘れているという経験は誰にでもあるものだ。身体を動かすことや,人々と話して笑うことは実際に大変良い効果がある。交流会に来てくれるよう支部ではこまめに声をかけている。しかしひとりで閉じこもり,外に出るのは通院だけという人には外出を勧めてもなかなか実行されない。何らかの動機づけが必要であると思う。ひとりひとりとの会話の中でそれを見つけていくのはかなり難しい作業である。
arrow 身体を動かすことが良い効果をもたらすということは,「痛い痛い」と言っている状況では遠い可能性のように見えるが,何かのきっかけで身体を動かしたときに肉体的にも精神的にも良い反応を自分で発見するようになることは重要なポイントである。投薬の治療のほかに,リハビリの効果についての理解も広め,線維筋痛症の対策としてのリハビリ施設も行きやすい距離にできるようになれば大いに治療の役に立つと思う。
arrow しかし日常の生活の見直しも,交流も,リハビリも,ちょっと試してめげてしまう人,「私には無理」と言う人は半分以上おり,その人たちに「こうすれば絶対に治る」と言えないところに難しさを感じる。

 

 
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