(旧版)科学的根拠に基づく糖尿病診療ガイドライン 改訂第2版
初版序文
糖尿病はインスリン作用不足によりもたらされた慢性高血糖を主徴とする疾患群で,さまざまな遺伝素因に種々の環境因子が作用して発症する.その発症,病態は多様であり,また,合併症の発症・進展においても個々の患者ごとに差異がみられる.このように,病因,病態ともに多様な個々の糖尿病患者に対処する際には,患者の臨床像を十分に解析し,診断,検査,治療のすべての過程において患者への十分な“説明と同意”を得ながら,きめ細やかな診療を行うことが必要である.
今日の糖尿病臨床を振り返ってみると,糖尿病の患者数は非常に多く,現在なお増加しつつあり,その診療を糖尿病を専門とする医師だけで行うことは不可能であろう.また,糖尿病に関する臨床研究はきわめて多く,すべての臨床家が糖尿病に関する「最良の医学的evidence」を自身で集めることは難しい.糖尿病の診療にあたっては,高血圧や高脂血症の合併,妊娠,小児や思春期の問題,諸種合併症などさまざまな局面があり,これらに対するレファレンスの拡充と診療ガイドラインの作成は多くの臨床家の糖尿病診療に役立つものと思われる.
近年,患者に良質な医療サービスを提供する手段として,“科学的根拠に基づく医療”(evidence-based medicine:EBM)の実践が提唱されるようになった.EBMとはその提唱者Sackettらによると,「個々の患者の問題点に対し,各医師の専門的技能と,利用可能な最良の医学的evidenceを併せて適用しようという医療」である.彼はまた「EBMは料理本医療ではない」,「文献から得られたevidenceは情報を与えるが,個々の医師の専門技能に代わるものではない.その情報が特定の患者にあてはまるかどうかの判断は医師の専門的能力に懸かっている」,「EBMは決してランダム化された臨床試験やそのメタアナリシスに限定されるものではない」とも述べている(BMJ 312:72,1996).
本ガイドラインはこのような視点に立ち,それぞれの問題に関する医学的evidenceを利用しやすいかたちで提供し,専門医の立場からそれらに評価を与え,診療上の推奨を行うことを目的に作成された.その基本は厚生省医療技術評価総合研究事業「科学的根拠(evidence)に基づく糖尿病診療ガイドラインの策定に関する研究」(主任研究者:朝日生命糖尿病研究所赤沼安夫)として報告されたものを基として改訂を加え,さらに「糖尿病診断の指針」,「糖尿病合併妊娠と妊娠糖尿病」,「小児思春期糖尿病」,「高齢者の糖尿病」,「糖尿病の療養指導」,「糖尿病の一次予防―発症予防」の各項を加え作成された.
日本糖尿病学会「科学的根拠に基づく糖尿病診療ガイドライン策定に関する委員会」は,糖尿病の専門家23名に臨床疫学の専門家1名を加えて構成された.まずサブテーマを設定し,おのおのにその分野を専門とする分担執筆者を配した.evidenceとなる情報源として,わが国および海外の医療情報データベースから関連する医学論文を検索し,過去に発表されたガイドラインも参考とした.
各分担執筆者はこれらの論文に基づいてサブテーマごとにガイドラインのステートメントを執筆し,さらに解説の文章を記述した.その際,論文を通読してそれぞれの論文のevidenceとしての水準を決定し,各論文をガイドラインの根拠とする妥当性について判断した.各ステートメントにはそれぞれ推奨の度合いを示すグレードと,その基となった文献の“科学的根拠”の強さを示すレベル(水準)が付記され,さらに,根拠となった文献が列挙されている.また,根拠を専門家の間のコンセンサスに委ねるべき事項については,それが適切なコンセンサスであるか否かについて数回の会議により議論を重ねた.さらに,査読委員が加わった査読会を各項目ごとに開催することによって討議を深め,また最終的に6人の委員により全体を通読した.
ガイドラインにおける文献(論文)レベルの評価は,欧米における評価法と同じく,臨床研究のプロトコールの良否と症例数を重視して行っている.ランダム化比較試験(RCT)に重きを置き,複数のRCTをまとめたメタアナリシスに最も高い評価を与えているが,評価の困難さもあって,研究の実施が当初のプロトコールにどの程度忠実に行われたかなどについてはレベルに反映されていない.一方,グレード付けにおいては,RCTが計画通り忠実に実施されたか否かなどの点についても必然的に吟味することになる.
このような評価法の問題点として,RCTは通常,特定の条件(年齢,性,病型)に合致する症例の集団を対象として行われること,報告された研究の多くは欧米で行われたものであることなどが挙げられる.したがって,これらRCTの結論を日本人の患者にそのまま適用できるかどうかは慎重に判断しなければならない.日本人の糖尿病を対象とした臨床研究がさらに多く実施されることが期待される.
ステートメントを適用する際にはevidenceのレベルよりも推奨のグレードを重視すべきである.RCTは,通常臨床上の問題点をより明確にするために行われ,したがって,あまりにも自明の治療法(1型糖尿病へのインスリンの必要性,食事療法の重要性など)に関してはRCTによる評価は行われない.このため文献に基づくレベルは決められず,そのような項目はすべて「コンセンサス」によって評価されることになる.すなわち,勧告の強さ(重要性)としてのコンセンサスはレベルに決して劣るものではなく,この点を十分に銘記する必要がある.
このように,ガイドラインは科学的根拠に基づき,かつ糖尿病を専門とする臨床家のコンセンサスにも十分に配慮したものである.現在わが国でも複数の大規模介入試験が進行しており,それらの成果が加われば,将来,本ガイドラインはいっそう充実したものになるものと思われる.実地医家の方々の日常の糖尿病診療の参考として,本ガイドラインが『糖尿病治療ガイド』とともに広く活用されることを期待するものである.
2004年5月
科学的根拠に基づく糖尿病診療ガイドライン策定に関する委員会