ガイドライン

EBMの手法による
周産期ドメスティック・バイオレンスの支援ガイドライン

書誌情報
 
私がはじめて暴力被害者への支援を学んだのは,教員になって間もない1980年代の初めだった。このときはレイプ被害について,海外での被害の実態を特別講師から聞き,この世の出来事とは思えない状況に耳をふさぎ,吐き気を催すほど気分が悪くなった。そして,支援のプロが存在するという話はにわかには信じがたいほど,遠い世界の話だった。
数年後私は,自分の身近な人が,一見平和に見える日常生活の中で夫からの暴力に脅えて暮らしていることを知った。耳を疑うようなことばで恫喝され,始終,無価値な人間として扱われ,威嚇された中で夫婦生活を送っていることを知り,私は彼女が家を出ることを手伝った。家を出るときの恐怖,もう誰も追いかけて来ないのだと確信できるまでのビクビクした時間,似た顔や姿を見たときの飛び上がるほどのおののき,残した子どもへの申し訳なさや罪悪感,彼女とともに経験したどの瞬間も,絶対に忘れることができない。
その後,家へ戻るかどうか,子どもを引き取るかどうか,銀行の通帳はどうするか,あれもこれも考えて,迷って,何も決められない彼女に,私はさじを投げた。一度決めたことをなぜ貫かないのか,ひとつの道を選べばいいのに,というもどかしさ。手を差し伸べたいけれど,手を差し伸べても,その手をつかんでくれない虚しさを体験した。その後,予想以上の年数を費やして,離婚が成立した。
その間私は,支援者として入り口だけは助けたものの,最後まで支援者に徹しきることはできなかったという後ろめたさを感じ続けていた。
1993年私は母性看護学の責任者として大学へ戻ってから,研究室の教員たちとともに女性に対する暴力について学ぶ機会を広げていった。暴力被害者支援の専門家である「東京・強姦救援センター」,「東京フェミニストセラピィセンター」の活動からも多くを学んだ。
1998年には「結ぶ会(性暴力被害と医療を結ぶ会)」企画の講演を聞き,カナダには,ヴァンクーヴァー地域での性暴力被害者支援プログラムや,ブリティッシュ・コロンビア女性性暴力被害専門医療サービスとその専門家養成のためのカリキュラムがあることを知った。また,そこでは女性を中心にしたケア(Women-centered Care)が実践されており,家族をひとつのユニットとして考えるだけでなく,時には,ひとりひとりの個人を中心に考えることが重要であるということを知った。
2002年6月から9月まで,私は,米国ミシガン大学看護学部にいる友人Dr.Yeoの研究室で3カ月間の研究休暇を過ごした。病院での女性への暴力被害者支援のシステムは見事だった。被害者発見のための環境づくりや短いスクリーニング用の質問,医療者の陥りやすい誤解,専門家への照会などについて,スタッフをはじめ看護学生・医学生への教育も徹底していた。
そして地域で開業している助産師たちの暴力被害に対する認識は,日本の助産師が持っているものよりも奥が深く,助産ケアの中では被害者への慎重な配慮がなされていた。内診を嫌がる妊婦や乳房への嫌悪感がある女性に出会ったとき,男の子に対する過度の制限やしつけがあると知ったとき,女性が過去に虐待を受けていた可能性はないか,あるいは現在,虐待を受けている可能性はないかなど,対象理解やアセスメントは,暴力被害者を想定してのものだった。
日本においては,まだまだ暴力を受けているかどうかのアセスメントさえ,十分にできていないと思った。助産教育においても,暴力被害者かどうかのアセスメントやどこへどのようにつなぐかということの記載は,ウィメンズ・ヘルスの教科書でもようやく始まったばかりである。
折りしも,研究室にはEBM(Evidence-based Medicine)に関心を持ち勉強しようという仲間が集まった。研究仲間は,時には学生と教師,時にはよい討論相手となった。網羅的に文献を収集するとはどういうことか,学問分野を看護・医学から社会学・心理学に広げれば,集まってくる文献の様相は異なる。批判的吟味では,意見が一致することのほうが少なく,夜を徹しての議論はいつものことだった。ガイドライン作成がこんなにも大変な作業であるとは予想していなかった。しかし,その苦行ともいえる議論はいつしか楽しい時間となった。研究論文を読み込む中で,世界中の研究者仲間の苦労が手に取るように理解でき,とても親近感を覚えた。
EBMの思考が,実践の拠り所となって広がっていくことを期待する。異文化の外国での研究結果を読んでいるにすぎないと受け流すのではなく,同じ目標を持つ研究者や実践家が専心して作り上げた研究論文の成果を共有することは,世界を超え,世代を超えてつながっていく智の創造であると確信する。この本がこれから看護・助産ケアについてのガイドラインを作成していくときの参考になれば幸いである。

2004年12月,本邦では「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(DV防止法)」が改正されたが,社会における取り組みは,いまだ緒についたばかりである。今後,このガイドラインが,女性が助けを求めて訪れるであろう医療機関において理解され,活用され,ますます医療の分野においても暴力被害者支援の概念が浸透し,システムとして支援が展開されるようになることを切に願う。
なお,本書の印税は,FTCシェルターに全額寄付されることを付記しておきたい。

私がこの仕事をするときにいつも心にあることばを最後に記す。
「サバイバーにとって必要なケアとは,誰にとっても必要なケアである」

2004年12月
聖路加看護大学学部長
堀内 成子

 

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